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3月18日

朝6時に枕元の携帯が鳴った。
画面の表示を見ると母からで、飛び起きて電話にでる。
震災で安否が分からなくなって以来初めて聞く声。
少し照れた感じで「随分心配かけたね。。。」と。
無事は分かっていたけれど、やはりこうして話せて本当に安心出来た。
今はまだ生活は不安定だし、職場も離れられず大変な状況とのこと。
それでも何とか頑張るから大丈夫だから
無理してこちらに来なくてもいいと説得される。
この週末で現地に向かう準備をしていたけれど。。。
万が一何かあったらと思うと心配でたまらないし、
私たちまで巻き込んでしまいたくないという両親の気持ち。
そして私たち自身も3人の子の親だという責任の重さ。
現地へ行きたい思いとそれらを天秤にかけて悩んだ結果、後者を選んだ。
両親と近々の再会を約束して電話を終える。

このようにして。。。
3月11日に東日本大震災が起こってから
両親の安否が確認できるまでの数日間を過ごした。
実際本当に辛い経験だったし、書くことはとても出来ないと思っていた。
けれど、このことを風化させたくはないという一心で
当時を思い出したり、両親に話しを聞いたりしながら
何とか書くことが出来た。
それはまたそれなりに追体験するようで苦しい作業だったけれど、
今回のことを残せて良かったと思っている。

とは言え、自分で読み返してみると何という長さと重い内容。。。
改めて。。。貴重なお時間を使ってここまでお付き合いくださった方へ。。
感謝の気持ちでいっぱいです!



私的震災日記 ファイナル

嫁さんは当然、未だ声すら聞けてない両親に会いたがっていて、
物にも困っているだろうから
金曜に出発して現地を目指すことにした(3回目w)。

両親に直接渡すようなものはこちらで用意。
それ以外、義母の施設もしくは避難所へ
届けようと思っていた物資集めを
前日、会社のみんなに協力を頼んでおいた。
毛布やカイロ、水やオムツ等々
たくさん集めていただいたものを積んで帰宅。

そして準備。
明日はいよいよ出発だ。

金曜朝。
嫁さんの携帯が鳴った。
両親だ。
初の生声。
電話が復旧したようだ。

無事を喜びながらも
石巻に向かおうということをメールで知っていた両親からは
「心配ないから来なくていい」と言われる。
「来てくれるのは涙出るほどうれしいが…
物もとりあえずは大丈夫だから。
それより何かあった時の事を心配する方がつらい。
孫達のことも心配だ」と。
どうせ会うなら少し落ち着いてから楽しく会おうよ ということで
またも現地入り中止…

けど仕方ない。。。

急遽、出勤することにして会社へ向かった。

多忙決死の覚悟でガチ出社してきたaianは
張り詰めていた何かがブチ切れたようで余裕の塊に。
そんな空気に自分も惑わされ、
二人で余裕ぶっこきながら一日こなすも、
ぶっこきすぎで最後は地獄の追い込み。

そして、次の日からは日常の業務に戻っていった。。。
怒濤の一週間が終わった。



あの日から2ヶ月弱。
自分の中では確かに何かが変わった。
家族揃って暮らせることの幸せ。
贅沢はなくても普通に生活できることの幸せ。
無くなって初めて気付く事の大切さ。
そして…人との絆の大切さ。
本当にありがたい事だ。

震災後まつわる話は多々あり、様々な影響・議論を巻き起こしてますが
身近なところで思わぬ震災の影響…
●震災前までは仲の良かった自分の母親と嫁さんが、
母のある一言により気まずい感じに…
●以前はとても仲が良かった自分の母と母の姉(伯母)、
3年間ほど絶縁状態(絶望的だった)が仲直り。


そして…
俺と嫁さんの絆は少し深まった…かな。。。www


願・被災地復興、甦れ日本!


追記
持っていくことができなかった物資は後日、
箕面市の物資受付へ届けました。

物資_convert_20110531234349


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2011.05.27 / Top↑
まとめ
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